沈んで消えて、すべてを洗い流してしまいたい衝動に襲われる。
くちびるに残る生暖かい感覚と、ぬるりと熱をもった液体を必死に拭って、拭って、誰もいないどこかへ向かって走る。
ただひたすらに、逃げるように。
(逃げる…?)
ふと頭によぎった言葉にラブラドールは必死に動かしていた足を止めた。
並んで走っていた風はあっという間に僕を追い抜いて、僕の後髪をなびかせる。
逃げる?誰から?くちびるに残る温もりは強引だったけれども誰よりも優しくて。冷静に考えてみれば
少しも嫌なんかじゃない事に気づく。それなのに、気持ちとは反対に動く身体がどうしてもとめられなくて。
暗い闇に包まれた通路で急に手を引かれ、迫ってくる金色の髪と綺麗なブルーの瞳に捕われて身体が動かなかった。
されるがまま強引に奪われたくちびるからはなんの感情も芽生えずに。ただ何がおきたか分からず、
焦り、混乱、動揺、色々な感情が一気に流れ込んできてつい、突き放して逃げてしまった。拒否、してしまったんだ。
(なんの感情も芽生えなかったけれど、嫌じゃなかったのも事実)
矛盾しているよね。本当に、矛盾している。
パタパタと足音が聞こえる。きっと、突き放して逃げてしまった僕を追ってきたのだろう。
必死に僕の名前を呼んで、月のない暗闇を探してくれている。僕のために。僕が逃げたせいで。
「…フラウ、」
茂みから小さく身体を覗かせた。フラウは僕の姿を見つけるとすぐに駆け寄ってくれたけど
僕はフラウと目を合わせるのが恐くて。目線は下へと沈んでく。
「…、ラブ!」
「ごめん…、フラウのことが嫌いな訳じゃないんだよ」
「…分かってる。俺もいきなりで悪かった」
罪悪感で目を合わせることができない僕を宥めるように、フラウは僕の髪をふわりと撫でた。
こんなに優しい君と、あの時のように激しい君。たまに、どっちが本当のフラウなんだろうと分からなくなる。
昼間の明るくて楽しそうな君と、夜中の冷たくて残酷な君。光りと闇。本当にそんな感じ。
「ふふ、不器用なんだね。フラウは」
「仕方ねえだろ、こういう性分なんだ」
月のない暗い夜の下、薄暗くしか見えないフラウの顔をそっと見た。闇に包まれている君は少し悲しそうな表情で、
けれどもとても優しかった。今なら、君の気持ちが分かる気がするよ。
僕が小さく笑うとフラウはほっとしたように息を吐いた。吐いて、そっと笑って、優しく包まれる。
「…でももう、暗闇からいきなりキスなんてしないでよね!びっくりしてまた突き放すよ」
「悪かったって、今度は正面からすればいいんだろ?」
「そ、それも少し困るけど…、」
にやりと笑ってみせるフラウに苦笑する。こんなに陽気な君も、闇の中の君も、光りで溢れている君も、
全部が僕の大好きなフラウだから。背中に回る大きな腕に答えるように、大きな背中に手を伸ばす。
ふたつの冷たい体温がひとつになって熱が生まれ、いとおしさに溢れてる。
そうしたら暗いくらい闇に埋もれていても寂しさなんか生まれない。まるで深海の深く深くに沈んで、静かに消えていくように。
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10/03/20